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CALIFORNIA 11

2009年02月14日 10:20

11。

僕を乗せたBoston行きの飛行機は到着予定時間を大幅に過ぎてもまだ雲の上、次に乗る予定のPortland Maine行きの飛行機の出発まで残り1時間しかない。
多分間に合わない、でももうそんなことはどうでもいいのだけど。
なぜなら隣に座る女神のおかげで、もう何が起こっても大丈夫になったから。

とりあえず、東海岸にさえ着ければバスを使ってMaineに向かって北上して行けると考え、トニカクChicagoにだけは戻らないように願っていました。
その願いが通じたのかどうか、機長から嬉しいアナウンス。

『只今BOSTON空港の滑走路の復旧作業が進められており、状況次第では着陸出来る模様』

乗客から拍手が起こります。
しかし、僕はぬか喜びはしません。
もう何が起こっても一喜一憂しないぞと決めていたから。
ハードな状況はもうそれでないと乗り越えられません。

結局2時間半遅れでBOSTONに到着。
ICE STORMは雪へと変わっており、そのおかげで空港closeが解除された模様。
しかし空港の建物は張り付いた氷で真っ白!よくコレで復旧したもんだ。

アメリカを旅行されたことのある方は判ると思いますが、同じ航空会社を使ってアメリカ内を旅する場合、基本的に何度乗り換えがあったとしても、預けたバッゲージは航空会社によって最終目的地に向かって自動で積み換えがされる。
しかし、本来なら自動的に次の便に積み換えられる筈の荷物もこのバッドラックにまみれた旅に限っては絶対にBOSTON空港のBaggage claimで弾き出されると確信し、DELTA航空のBaggage claimへ。

ここでまたもやバッドラック炸裂。
この年のカリフォルニアは記録的な暖冬、カリフォルニアからやってきた僕は例の虹マークのロングT-shirt一枚という出で立ち、全ての上着は預けた荷物の中。
そして、DELTA航空のBOSTON空港のBaggage claimは外!!
そして外はもちろん雪降りまくりの嵐。
激寒です。

震えながら出てくるか判らない荷物を待ち続けること20分。
のこのこと、本来は出てくるべきでない、俺の荷物チャン達が、出てきましたよ。
やっぱりね。
速攻上着を引っぱり出し装着。

怒りたい気持ちを落ち着かせ、DELTAのチェックインカウンターへ。
たった一言。

『No matter what, I really need to get back to Portland Maine. TONIGHT.』

目の据わったアジア人の出現に少しうろたえたスタッフは、大急ぎで振替フライトの席をチェックしてくれて、リストの最上部に僕の名前を入れてくれたようです。
しばらく待たされた後、飛行機の手配が出来たということで、再度チェックインカウンターへ。
そのフライトはその日最後のフライトになるとのことでカウンターには席を確保出来なかった客がスタッフに詰め寄る場面もみられました。
どうやらその晩はIce stormのため、バスも全面的にストップしていたようです。

そんな状況を横目で見ながら荷物を預け終えた僕は、最後のフライトへ向けて搭乗ゲートへと向かったのでした。







CALIFORNIA 10

2009年02月09日 13:28

10でございます。

Truckeeを出発した僕らはSan Franciscoへ向けてRoute 80を走ります。
Route 80はTruckeeからSacramentoへと続く道なのですが、Truckeeを出てすぐのSierra Nevada山脈を越す山越えの道はDonner Passと呼ばれる峠道で、アメリカの歴史上見過ごすことのできない場所です。

1846年、フロンティアの最中、カリフォルニアへの移住に向けてこの峠を通ったドンナー一行は、大雪のため足止めを食らい一冬をこの峠、山脈の東側で越すことになった。
その冬越えの過程は凄惨であり、当初81人いた移住民で生き残ったのは45人、死んだ人達は生き残った人達の食糧となった。

今でもアメリカの教科書に載っているとても有名なお話。

その峠を食われることも食うこともなく難なく越えた僕らは(現在は高速道路が走ってます)Grass Valley(後の僕にとってのとても縁深い土地)をかすめてSacramentoへ到着。
買い付けをするため街を物色、しかし収穫無し。
Sacramentoからは高速も幅が広くなり車の数も増えます。
そのまま一路San Franciscoへ。

San Franciscoへ着いた僕らは最後の買い付けを済ませ、空港近くのモーテルに宿泊。
最後の夜ということでこれまでのお礼を兼ね、僕のナケナシの金をはたいて仏君をディナーへ招待。といっても安いステーキハウスでしたが。
食事を楽しみ、仏君にコレまでのお礼を言いました。
ホントにアリガトウ仏君!!!
店を出た時点で持ち金5ドル。
もう使う予定はありません、よくぞ持ちこたえたものです。

次の日の朝仏君に空港まで送ってもらい、涙の別れ。
短い間でしたが、本当に良くしてくれた仏君との別れは本当に悲しく、涙が止まりませんでした。
アリガトウ!!!

チェックインをすませ、搭乗しいよいよカリフォルニアともお別れです。
bye bye、California!!


San Franciscoを出た飛行機はChicago行き、Chicagoで乗換えてBostonへ、そしてそこで最後の飛行機に乗り換え最終目的地Portland Maineへ。

Chicagoに着いた僕はトランジットの間に少し気を緩めて売店でコーヒーとベーグルを買いました。
しめて4ドル25セント。手元には75セントが残りました。
この出費が後で僕を苦しめるとも知らず、、、、

Chicagoを出発した飛行機は暫く飛んだ後、機長が機内放送であり得ないことを乗客に告げました。

『Boston空港が史上最悪のIce Stormのためクローズしており最悪の場合Chicagoへ戻るか、もしくはNew Yorkの空港への着陸が予想されます。』

出ました、スーパーバッドラック。
僕の神がかったバッドラックは機内全員の乗客をも巻き込み、北アメリカ上空を飛んでいたのでした。
ココまでくるともう、かなり、周りの誰が見ても解るくらい、僕はまいっていました。
カリフォルニアの旅で十分消耗しているのに、さらにこれとは、、、
僕にはどうしても今夜中にPortland Maineに戻る必要がありました。
次の日の朝一に指定されたホテル前に僕の住んでいる山へ向かう無料のバンが迎えにくる予定だったからです。
金のない僕がこれを逃すと、、、、
判りますね。

Ice Stormとは直訳すると氷の嵐。
雪にならないくらいの低温で雨が降っており、風が強い時に起きる気象事例です。
降った雨が強風による気温低下のためありとあらゆるものに凍り付き、そこら一帯をツララだらけにしてしまうものです。
それによってもたらされる最大の障害は通信用配線や電柱の電力供給配線等がツララの重みで切れてしまうこと。
都市機能がかなりやられてしまうのです。
しかも史上最悪のやつがこのタイミングで来るなんて、、、、

まいっている僕を見かねて隣に座っていた女の子が僕を励まします。
彼女はダウン症の女の子でした。
一生懸命に励ましてくれます。
そして、
「この音楽を聴けば大丈夫!」
と彼女のヘッドフォンを僕に手渡します。
耳に当てて聴いてみると、、、、
マイケルジャクソンのスリラー!!
ぶっ飛ばされました。
もう何が起こっても怖くありません。

全てを吹っ切れた僕は何としても今夜中にMaineに戻ってやると誓ったのです。






CALIFORNIA 9

2009年02月03日 14:10

カリ9です

Mammoth Lakesでの買い付けを済ました僕らは、朝一で次の目的地のNevada州 Renoへ向けて出発しました。

Mammoth Lakeを出て暫く北に向かって走ると右側にMono Lakeが見えてきます。
大小幾つかの島を持つこの小さな湖はまるでドーナツの様な形をしていてとてもユニークです。
ちょうどこのMono Lakeの辺りから西に向かうと、かの有名なYosemite National Parkがあります。
しかしその頃はちょうど冬。
Yosemiteへのアクセスロードはクローズです。

Renoはカジノの街。
もちろんNevada州で有名なカジノ都市といえばLas VegasですがRenoもそこそこのサイズを持つカジノ都市です。
北カリフォルニアのギャンブル好きは主にRenoへ行くようです。
だってLas Vegasは遥か南ですから。
この街でもHilton等のカジノ付き大型ホテルが盛況を博してます。
まあLas Vegasとは比べ物にならないですが。
Nevada州はその州土の殆どが砂漠です。
そのためその広大な土地の多くは軍事的な利用をされており、街もなければ人もほとんどいないといった感じです。
それでこの州の代表的産業がカジノというわけです。
砂漠の中に突如現れる夢の世界。といった感じでしょうか。

Renoついた僕らは買い付けのため、色々なお店を物色してまわりました。
一通り買い付けを済ますとその晩の宿泊予定地Truckeeへ向かいます。
TruckeeはLake Tahoeの北に位置する街。
Lake Tahoeは北カリフォルニアの代表的なリゾート地でありNevada州とCalifornia州をまたぐ大きな湖です。この湖の西側にはカリフォルニアを代表するスキー場がいくつも在り、別荘だと思われる豪邸が建ち並んでいます。
ぼくらはTruckeeに滞在し、次の日にそれらのスキー場の一つ、Squaw Valleyというスキー場で滑りました。
 
さて次回はSan Franciscoに向けての旅です。
みなさんお待ちかねのトラブル続きな展開が待っています。
IMG_0278_convert_20090203151253.jpg







CALIFORNIA 8

2009年01月22日 19:36

Cali 8

Lone Pineを出発した僕らはMammoth Mountainに到着し、なんとか仏君が押さえたコンドミニアムに滞在。
ここには4日ほど滞在しましたが、午前中はMammoth Lakesで仏君の仕入れを手伝い午後に山に登るといった生活でした。
Big Bearのときのように早めに上がる客からリフトチケットを譲ってもらい滑っていました。

なぜだかわからないのですが、この旅の中でこの4日間程の記憶だけがすっぽりと抜け落ちてしまっていて、、、
多分それまでの強烈な危機的状態から一時的に抜け出たことで放心状態だったのではと考えられます。
特に何の問題も起こらず、仏君と一緒の生活を普通に楽しんでいたはずです。

あ、そういえば。
ちょうど僕がカリフォルニアに行くか行かないかくらいの時に、アメリカの同性愛協会かな?まあとにかくそれ系の団体が同性愛のシンボルを "虹" に定めたらしく、それを知らずにおもいっきり虹のマークが胸に入ったロンティーを着ていた僕は、その旅の間ずっとそれらしき人達にジロジロと見られました。
別に同性愛がどうこうという訳ではなく、ただ単に "僕は違うのに" ということです。
とにかく、その事実を知ったのは東海岸に戻ってからなんですが、、、

IMG_3098_convert_20090122192950.jpg




CALIFORNIA 7

2009年01月10日 17:56

七です

L.Aを出発した僕らは北へ向かいました。
目指すはMammoth Lakes。
ここも当時のスノーボードシーンの中心地の一つMammoth Mountainというスキー場のある場所です。
ここはBIG BEARに比べて山の規模が大きくバックカントリーを含むダイナミックなスノーボードスタイルが楽しめる山です。
mammoth01_convert_20090110174333.jpg
このマンモスの銅像をスノーボードビデオで見たことある人も多いのでは?

目指すMammoth Lakesはカリフォルニアを南北に貫くSierra Nevada Mountainsという山脈の中程東寄りに位置し、冬期はこの山脈を西から越える道はすべてクローズします。
そのため僕らは山脈の南端から回り込み、山脈の東側を北上しました。
Route 395、地球上で最も暑い気温を記録したDeath Valleyをかすめる道です。
その道のりはまるで西部劇の荒野の様。
丸い枯れ草の塊みたいのが風に吹かれてコロコロ転がり、ゴーストタウンらしき人の営みの跡等が砂漠の中に点在します。
Gasは入れられる時を逃さずいつも満タンを心がけます。
砂漠の真ん中でガス欠とかは絶対避けたいですからね。

仏君は運転しながら、これまでに旅して来た土地の話を色々としてくれました。
特に印象に残ったのはメキシコの話。
夜メキシコの砂漠を車で走っていると巨大な陰が三日月の光で闇に浮かび上がるんだそうです。それも地平線までずっと。
大きいものになると確実に20mを越えるものまで。
一人でその中を運転するのはとても心細かったそうで、その日はモーテルに泊まることに。
次の日の朝、モーテルの部屋から出ると回り一面巨大サボテンの林だったそうです。
そんなこともあり、今回僕が同行することをとても心強く感じたそうです。

途中Lone Pineという街で一泊。
なんとTwinの部屋をとってくれて、もちろん宿泊費は仏君が払ってくれました。
優しすぎ仏君。

次の朝また北へと進むのです、、、、

やった!今回はトラブル無し!







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